緑色光が変える養殖の未来。魚の体内時計を操る「グリーン・インパルス」とは

ジャーナル
スポンサーリンク

ラジオ風動画です。

水産資源の確保が地球規模の課題となる今、養殖業は食料供給の生命線だ。しかし、そこには「冬の壁」が存在する。水温が下がると魚は餌を食べず、成長を止めてしまうのだ。この長年の常識に対し、北里大学の研究チームが驚くべき「光」を当てた。彼らが発見したのは、特定の「緑色光」が魚の体内時計を操り、真冬でも成長を促すという画期的なメカニズムだった。本稿では、この「緑の衝撃」がもたらす経済効果から、生命の神秘に迫る分子レベルのドラマまで、次世代養殖技術の全貌を解き明かす。

序章:養殖業の常識を覆す緑の革新

ヒラメやカレイといった重要な養殖魚種において、冬季の低水温による成長停滞は、養殖期間の長期化やコスト増大、さらには病気や災害リスクを高める最大のボトルネックであった。

この課題に対し、北里大学の高橋明義氏らが築いた緑色光研究の基盤を受け継ぎ、水澤寛太教授らの研究チームが革新的なアプローチで解決の糸口を見出した。彼らが注目したのはカレイ目の一種であるマツカワ。通常であれば餌を食べなくなるような摂氏7度という極端な低水温下でも、「緑色光」を照射することで摂餌活動が活発化し、成長を続けることを突き止めたのだ。

この現象は単なる代謝の刺激ではない。研究チームは、魚の「体内時計(概日リズム)」の明暗同調が深く関与しているという核心的な仮説を立てた。低水温で崩壊した魚の時間感覚を、緑色光が強力な同調因子として再起動させているというのだ。

第1章:実証された経済効果

この研究の最大のインパクトは、その驚異的な成長促進効果と経済性の向上にある。すでに日本各地の養殖現場で導入が進むこの技術は、実験室レベルを超え、ビジネスの現場でもその実力を証明しつつある。

成長期間の短縮とコスト削減

緑色光の恩恵は、自然界で成長が止まる冬にこそ顕著に現れる。マコガレイの稚魚を用いた実験では、緑色LED光を4週間照射したグループは、自然光飼育に比べて体長が1.2倍、体重が1.4倍に達した。さらに長期的なヒラメの飼育試験では、1年1ヶ月で体重が通常飼育の約1.6倍に増加。これにより、出荷までの期間を約3ヶ月も短縮することに成功している。

出荷サイクルの短縮は、コスト削減に直結する。試算によると、魚体重1kg当たりの生産コストは約13%低減された。これは飼料費や人件費の削減だけでなく、長期間飼育することによる疾病リスクの回避にもつながる。

Table 1: 養殖効率における緑色光照射の経済効果(ヒラメの例)
指標 通常飼育(対照区) 緑色LED照射区 改善率・効果
平均体重 (13ヶ月間) 基準 約1.6倍に増加 +60%
出荷までの期間 基準 約3ヶ月短縮 早期出荷が可能
生産コスト (1kg当り) 1,435円 1,254円 約13%低減

運用上の頑健性

この技術が現場で支持される理由は、その「使いやすさ」にもある。効果は厳密な光量調整を必要とせず(5〜15 µmol/m²/sの範囲)、水温12℃から21℃という広い範囲で維持される。さらに水槽の背景色にも左右されない。つまり、環境変化の激しい養殖現場でも安定して運用できるのだ。

第2章:生命を刻む体内時計の再生

なぜ、緑色の光がこれほどの効果をもたらすのか。その鍵は、魚の生命活動を司る「体内時計」にあった。

低水温がもたらす「時間の混乱」

研究により、低水温は魚の体内時計を分子レベルで狂わせることが判明した。メダカやホシガレイを低水温環境に置くと、時計遺伝子(per2, cry1aなど)の発現リズムが崩壊する。細胞が生理的な「時間的秩序」を失い、いつ餌を食べ、いつ活動すべきかがわからなくなる「時間の混乱(ノイズ)」状態に陥るのだ。これが、冬に魚が餌を食べなくなる真因であった。

緑色光による再起動

研究チームは、この混乱を収束させるメカニズムとして以下の仮説を検証した。

仮説①:同調機能の低下 低水温下では、魚は通常の白色光を時刻情報として認識できず、環境への同調機能を失う。
仮説②:緑色光による強制再起動 特定の波長である緑色光は、低水温下でも強力なシグナルとして作用し、狂った体内時計を再起動(リセット)させる。

検証の結果、緑色光は単なる刺激ではなく、細胞レベルでの時間的秩序を取り戻す「強力な同調因子」として機能していることが明らかになった。

第3章:皮膚に宿る「光の目」

では、魚はどこでこの光を感じているのか。研究は、従来の定説を覆す驚きの発見へと至る。

当初疑われた「視床下部-脳下垂体軸」やインスリン様成長因子(IGF-I)といった標準的な成長経路は、緑色光の効果には必須ではないことが判明した。脳の中枢ではなく、別のルートが存在したのだ。

皮膚に存在する光センサー

研究チームが突き止めたのは、魚の「皮膚に発現する光受容タンパク質(オプシン)」だった。魚は目で見るだけでなく、皮膚で光を感じていたのである。

皮膚のオプシンが緑色光を感知すると、プロオピオメラノコルチン(POMC)遺伝子の発現変化などが引き起こされる。これは魚の皮膚に、光情報に応答して内分泌系を制御するシステムが備わっていることを示しており、研究チームはこの伝達経路を「グリーン・インパルス」と名付けた。水槽の色に影響されず効果が出るのも、全身の皮膚でダイレクトに光を受け取っているからだと考えられる。

第4章:成長モードへの転換スイッチ

緑色光の影響は体内時計の調整だけにとどまらない。最新の研究では、代謝とストレス応答の制御にも深く関わっていることが示唆されている。

甲状腺ホルモンとストレス緩和

通常、低水温ストレス下では生存維持のために甲状腺ホルモン(TH)が働く。しかし緑色光を浴びると、このホルモンの働きが「生存維持」から「成長促進」へとモードチェンジする可能性が示された。つまり、緑色光は魚に対し「今は冬だが、安心して成長して良い」というシグナルを送っていると考えられる。

さらに、緑色光にはストレス緩和効果もあると見られている。魚の幸福度(ウェルフェア)を高め、健康状態を最適化することで、結果として食欲と成長を促す。この多角的な生理制御こそが、驚異的な成長率の秘密なのだ。

Table 2: 緑色光による成長促進メカニズムの概要
作用段階 生理学的効果 科学的意義
体内時計 乱れたリズムを再設定し、明暗周期に同調させる。 低水温による時計遺伝子リズム消失の回復。
光感知 皮膚のオプシンが光を受容。 視覚に頼らない新たな光受容経路の発見。
代謝・成長 甲状腺ホルモン(TH)経路を成長促進へ誘導。 低温適応から成長モードへの転換。

結論:光が拓く水産業の未来

北里大学発のこの「緑の衝撃」は、単なる基礎研究の枠を超え、日本の水産業を変える実用技術として結実した。「光の波長」というシンプルかつクリーンな手段で、魚の生理機能をコントロールするこの技術は、マコガレイなどの資源回復のみならず、ウナギやマグロといった重要魚種の養殖効率化にも応用が期待される。

グリーン・インパルスの全貌解明はまだ道半ばだ。しかし、光によって魚のストレスを取り除き、健やかな成長を促すこの技術は、生産効率とアニマルウェルフェアを両立させる、持続可能な未来の漁業のスタンダードとなるだろう。


現在、私が個人的に興味を持った研究論文や、専門家の先生方から伺ったお話を元に、独自のリサーチを加え、コラム記事として掲載しております。

普段触れる機会の少ない、最先端の学術的な知見や、科学の奥深い世界を掘り下げてご紹介することが目的です。

図鑑コラムとして取り上げて欲しいテーマや、記事に関するご意見などがありましたら、ぜひお気軽にご連絡ください。

コメント

タイトルとURLをコピーしました